本作品は2013年4月に千代田区指定有形文化財(絵画)に認定されました。今回は所蔵神田明神さまと株式会社精興社さまの多大なるご協力の下、高性能スキャンによる高い再現性で、原寸の複製を全て広げた形で展示をします。
描かれたのは江戸末期から明治にかけて。作者不詳ですが、克明に祭の様子が描かれています。中国の勇敢な戦士の話やお伽話を題材にして山車が作られ、テーマに沿った仮装で人々が練り歩いたそうです。本作には36番の山車と附祭が描かれており、当時の物語の解釈や表現がとてもユニークだったことを伝えてくれます。
例えば、今でも有名なお伽話「金太郎」の一場面を模したシーンでは、熊ではなく大きなイノシシに乗る金太郎を、動物たちが引く姿が見られます。擬人化された動物の姿は、実際は動物の着ぐるみを着た人間。江戸時代当時も着ぐるみがあったのか!?
奥深い祭礼図巻の中に踏み込んでいくと、現代の私たちにも充分に楽しめる世界が広がります。
自分が知っていた江戸時代と少し違う!
驚き笑い、感慨深い、49.8mの旅に足を運んでみてください。
本展では図巻を辿りながら観る際、場面場面の描かれたシーンの下に簡単な解説をお付けしています。
解説『神田明神祭礼図巻の解説』
トーク『なぜアートに祭なのか?』
[千代田区指定有形文化財(絵画)]
各町で作られ祭で引かれた山車は、神田祭の名物の一つでした。
大きな物ではゆうに4~5mを越え、その山車のてっぺんに据えられた人形は、当時の町人達の憧れとして、中国の英雄やお伽話の登場人物、武将をモチーフに象られたと言われます。
山車人形「熊坂」は昭和63年に千代田区指定有形民俗文化財に指定されました。頭部は1765年に作られましたが、それ以外の部分は関東大震災以降に復元されたものです。
本展で展示される「熊坂」は、江戸時代にいわゆる「天下祭」と称された神田明神祭礼の時、氏子町の一つ連雀町より出された9番山車の上に据え付けられ、江戸城内へ入り徳川将軍の上覧に供された人形です。熊坂は能の演目「熊坂」に登場する伝説の大泥棒・熊坂長範を象っています。
演目「熊坂」の参考サイト
http://www.hakusho-kai.net/welcome/programs/kumasaka.html
[千代田区指定有形民俗文化財]
能楽は武家社会の中で格式ある物として伝わったものですが、それに対して、江戸の町人主催で始まった神田明神の神事能と言われています。
享保6年(1721年)に起こった神田永富町・三河町から出た火事により能道具一式を納める倉庫と能舞台が焼失した事で、享保5年(1720)平成15年に金剛流薪能「明神能・幽玄の花」として神事能は復活し、今年で11年目を迎えます。
その歴史の紹介と、現代の神田明神の薪能で使用された事がある衣装や能面などを展示します。
資料展示は現在薪能を興行し出演している金剛流・遠藤勝實氏の協力の下、装束、能面のほか、小道具も展示されます。
昭和初期の貴重な動画記録を一挙に公開。
4本の映像フィルムをまとめてご覧頂けます。
また、昭和7年のフィルムについては、撮影場所地元出身の立山西平氏による映像解説レクチャーが行われます。解説を通じてみる映像はさらに町の様子を楽しみながら観る事が出来ます。
撮影された昭和7年は東京は関東大震災から復興を遂げた時期であり、実に10年振りにお祭りが開催された年に当たります。昔ながらの担ぎ方や、御練りの様子が、当時の様子を伝えます。
また、その当時の風俗(ラジオ体操や町並みを捉えたシーン)も垣間見ることができます。舗装前の道路や、昔ながらのポストを画面の端々に見つけて楽しみながら、人々の笑顔や熱気が伝わってきます。
戦前に捉えられた最後の神田祭と、後半部分は太平洋戦争に向かう雰囲気の高まりを移した貴重なフィルムと言えます。神田地域の時代の移行期をカメラが捉えています。
戦争が終わり人々の生活が戻り始めた昭和27年。戦争中は昭和17年を最後に中止されていた神田祭が、念願の実施となった年です。町の人々の心の中で支えとなる神田祭は、戦前と変わらぬ部分と、戦後の町の変化や経済の発展と共に変化した部分とがおり混ざります。この年、空襲で消失し新調された一宮鳳輦がお披露目されました。
昔の担ぎ方は今の縦揺れの担ぎ方とは様子が異なります。互いに寄りかかり合いながら重心のバランスを取って神輿を担いでいました。重心のバランスが崩れるとぐるぐる回転し出したり、押し合いへし合いの様にゆらゆらと前方に進んで行き、「もめもめ」「させさせ」の様子も見てとれます。
オールカラーフィルムで、昭和33年神田祭・神幸祭に密着した完全ドキュメントです。当時は2日間に渡って神幸祭は行われており、御旅所に寄るシーンも収められています。立ち寄る場所や通りの景色など、ランドマークになる橋、標識、建物もしっかり撮影され、お祭りの記録ですが町の景色も見る事が出来、様々な記憶が甦る映像です。
神田錦町三丁目町会が町会員を中心に記録した映像です。身近な撮影者が町会の人々への愛情を込めて記録していく様子が伝わってきます。子ども達のやわらかな表情や、大人達の親しげな笑顔。御神輿を担ぐ姿も近くで撮影され、生き生きとした表情をみる事が出来ます。現在の神田錦町三丁目第一町会より提供して頂いた貴重な記録映像です。
外神田連合は十二町会が神田明神氏子として存在しています。
今回はその十二町会と番外編で二町会、合わせて十四町会の祭必須アイテムを展示します。
半纏、手ぬぐい、弓張り提灯は、各町会のアイデンティティを示すアイテムとして、お祭りには欠かせません。各町会の紋を入れた半纏の背中をメインに据えて、祭ならではの華やかな会場を演出します。
各町会の半纏の近くに、それぞれの町名由来も紹介します。それぞれの町の成り立ちが、うかがい知ることが出来ます。
また、アーツ千代田 3331が位置する神田五軒町々会の御神輿、太鼓山車と新調された子ども神輿もエントランスに展示されます。
昭和初期から現代にかけて数多くの作品を描き続ける木下氏。祭のハレ舞台から、神田のケ(日常)の姿・普段の柔らかな表情と出会えます。
木下氏が描き続けてきた神田の町を、時間を追ってエピソードテキスト共にご覧頂きます。
建築的目線から、町の景観、町づくりの視点にまで発展させて考えることが出来ます。
タッチを変えて描かれた町の様子が、木下氏の絵を通じて魅力的に伝えられてきます。
木下氏が挿絵を手がけた「江戸っ子はやるものである。」(渡辺文雄 著)の原画を展示。渡辺氏から昭和初期当時の話を聞きながら、神田の町の様子を描かれています。木造家屋の家並みや路地で遊ぶ子ども達の様子など、当時の風景が再現されています。
絵本「かんだ彷徨(かんだうろうろ)」(木下栄三 著)に掲載されている絵の中から30点の原画を展示します。木下氏が神田の町に入り、町の人達との会話を通じて描き出された作品群。神田の町並はもちろんのこと、押し入れの中に仕舞われている古道具を引っ張り出してもらいその姿を描くなど、木下氏の人柄ならではで見つけられた貴重なモチーフにも注目です。
木下氏が2011~2012年の約2年間もの時間をかけて描いた「皇居と江戸城重ね絵図」の原画を公開します。皇居東御苑にある植物や皇居内で実際に見られる鳥や魚のスケッチも展示。絵図の中に描かれている植物は、実際に皇居内敷地の同じ場所にあるといいます。
建築家であり、江戸検定一級の資格を持つ木下氏ならではの視点で「新江戸三十六見附」の提案をいたします。江戸時代から震災、戦災、東京オリンピック以来の大規模開発などを経てその姿を変えてきた町並みに、木下氏の考える“絵空ごと”が重なります。
1950年名古屋生まれ。東京・神田に勤務するようになって既に40年近くになる。現在建築の設計を生業とし、合わせて画業も自身の生き方の一つとして続けている。さらに画業の一部として歴史や文化に親しみながらその遺産を記録し、絵として伝えることをライフワークとしている。ここ数年はその中でも特に「皇居と江戸城」に焦点を絞って、千代田、あるいは東京という都市との関連を眺め、その中から未来に向けた姿を考えることに興味を持って研究を続けている。